舒川新城里
百済時代、舒川地域は、舌林郡、馬山県、比衆県の1郡2県体制を備えていた。錦江河口の重要な城として、熊津・泗沘都邑期の舒川は軍事且つ外交における要衝だった。
統一新羅、景徳王時代に地名が西林郡に改名されたが、舒川出身である李彦忠の功労によって、
高麗時代後期の忠肅王元年(1314年)に知西州事(西州)に昇格した。
朝鮮時代、太宗13年(1413年)10月15日、全国的な行政区域の名称変更が行われ、西州から現在の舒川郡に地名が変更された。
2013年は、「舒川」という地名になってから600年を迎える年で、過去600年の軌跡を通じて舒川の人々が人生の真価を探し求め、新たな1000年を設計する貴重な時間とならなければならない。