舒川新城里
舒川郡において行政制度が初めて登場したのは、三韓時代馬韓の部落社会国家である児林国が誕生してからである。 舒川郡は忠清南道西南部に位置し、東には扶余郡、西には黄海、南には錦江を境界とし、全羅北道群山市と接しており、北は保寧市と接している。
舒川郡は昔から韓山の細苧として有名だった所で、今も苧の故郷としてその命脈を続けており、ほとんどの地域が伝統的な農漁村の地域である。 舒川郡において行政制度が初めて登場したのは、三韓時代馬韓の部落社会国家である児林国が誕生してからである。三韓時代の文献を取得することができないため、児林国の行政制度を詳細に知ることはできないが、魏志韓伝によると馬韓は54ヵ国の大小の部落社会国家があり、その中で忠清南道に位置する国は13ヵ国と考証されている。
児林国の統治状況と行政制度、行政区域は今日の制度に及ばない。しかし、ひとつの町を治める君主的制度であったと推測することができ、児林国の位置は舒川郡舒川邑南山付近と考証されている。南山付近に集落が形成され、その集落付近を中心に部落単位の社会国家が形成され、舒川郡に初めて行政単位統治機構が生成されたと見なければならない。